涙はため息になりました

megacat_takana2009-02-22

今の私はたいへんな、臆病者だ。


様々なことが怖くて、すぐに身動きがとれなくなる。
小さくなってうずくまっていて、時が過ぎて・・
良くなることなど一つもないのに。


あきらめや哀しみしか見いだせないような関係もある。
再構築しようと努力する年月は長すぎた。
もう、どうでも良いんだと思う。つかれた。


逆に、本当はとてもとてもそばにあって、この先もずっと繋がっていたいのに、
大切に思うあまり、いつかは嫌われるかも知れないと言った妄想がわいて、
そのせいで遠ざけてしまおうとしてしまう人も多い。


会いたい、話したい、笑い合いたい。


会いたくない(会えば弱音を吐きたくなるもの
話したくない(哀しいとかつらいとか、自己中発言しか出なそうなんだ
笑い合えない(笑顔の前に泣き顔が、嗚咽がもれるにちがいない


自分自身をもてあましてる。
少し気を抜けば、もたれかかってしまいそう。
邪魔になる負担になる重たいと言われる。
口にされなくても自己憐憫から勝手にそう思いこむだろうし。
誰にどう関わろうと、私が私を、ダメにする。
哀れな自分を認めたくない。
そういうことだろうな。


誰かをなぐさめる私は
「何よりも誰よりも、自分のこと護ってあげなきゃいけないよ。
 情けない自分を愛して、許してあげるんだよ。
 今はいっぱい泣いて、泣いたら笑えるから、泣いてしまおう。」
こう言いながら、一緒に泣いたりしている。
人に伝える言葉には、自分自身へのメッセージだらけだ。


昨日の母へここで本当のお返事。
「何がいちばんつらいの?」 →  誤:「わからない」
                 正:「甘え下手に育ったことだよ」


幼いぞ私ー。
なりふりかまわずってアレ、やってみたーい。
とか考えてるギリ三十路手前の私、きもーい。
ため息しか もう。。。
あーあ

懺悔 かな?

megacat_takana2009-02-17

ちょうど10年前だった。を、Rに電話で話した。
私の14日の破裂について言うと、彼女は、分かる気がすると言った。


10年目だから?
無意識にストレスが爆発する?
私が私を壊そうとするほど?


理由にならない理由。
でも私たちの間では、通じてしまう“不思議”なのだ。
「なんとなーく納得」と笑った。


日記も読んでもらった。
>Rと出会わなきゃ良かったとか、早く死んじゃってよと願うことさえあった。
>申し訳ないけれども、本当に。
どんな反応が返ってくるか、ひどく、緊張した。
取り乱して泣くか?また何か自殺するとか騒ぐ?と。


「ああ〜私もあるんだよごめんねぇ。」だってさ。


出会って15年。
私たちはまた、絆を強めたらしい。


明日は用事がある。
早く眠らなきゃならない。
今夜はいらつきも怒りもない。
良い宵だ。


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このブログは“私”を書くトコロ。
毎日の更新などは、約束しないしできない。
悪くとられそうな話題も、そのままを表そうと思う。


裁判で良く耳にする黙秘権ね。
行使しないことを誓いますー。
裁判官も検察官も私 か。ほほほ。

ちょうど10年前だった。

megacat_takana2009-02-16

1999年2月14日


親友Rが脳梗塞を起こした日だ。
18日の夜、Rのママから電話で知らされた。
脳梗塞と聞いても、どんな症状なのかよく知らない。
「生きているんですよね?」
と返した気がする。
電話の向こうの涙声は、溶けない雪のようだった。


左の脳がもうダメだから
私のことも分からないの
右半身不随だしね
口もダメなの話せないのよ
体力が…死んでしまったらごめんなさいね


雪の降る夜、暖かい布団に包まりながら、凍えさせる重たい雪が心に積もる。
泣きくずれるママを勇気付ける言葉を交わして電話を切った後、泣いた。
獣の咆哮に似ていただろう。
人が・・私がこんなにも感情を爆発させていることにも驚いていた。
それまでに幾度かの大手術をしているRの死を、確信してしまいそうだった。


Rは私に愛を教えてくれた、特別な親友だ。
共働きな上、愛情表現の下手な両親と意地悪な兄が家族の私に、
愛を教えてくれた。
人が人であるための、愛。幸福。


その当時、もっとも大切に思い、誰よりも失いたくない人が、死んでしまう?
恐怖以外のなにものでもない。
大学の友人で、信頼していた男友達に助けを求めて電話をかけた。
夜中の2時もまわっていたし、泣きわめく私はおさまらない。
「なに?何言ってるんだかわかんねぇなぁ。」
電話はすぐに切られ、救いはどこにもないと思い知らされた。
女友達には電話できなかった。
泣き叫ぶ私を知られたくなかったんだ。


あの晩のショックが、私にうつを呼んだ。
約20年の間に溜め込んできていた、抑圧と言う名の膿がぬるりと、身体に流れ始めてしまった。


「生きても二年でしょう」
そう言われたはずのRは、元気に生きている。
10年は短いようで、長い。
さまざまなことがあった。
あの子は脳梗塞のあとも、癌をころころと作る身体に翻弄された。
そのたびに病室で二人一緒に泣き、笑った。
Rと出会わなきゃ良かったとか、早く死んじゃってよと願うことさえあった。
申し訳ないけれども、本当に。
それでも私たちは、助け合い互いを慰め、時に傷付け合いながら生きている。


Rの夢は私と二人、おばあちゃんになって日向ぼっこをすること。
真っ赤なドレスでおっきな花束を抱えて、私がお葬式に参列すること。。。
これはーどうなんだ?


昨日、いくつかの幸せを、気持ちを受け取った。
ありがとう。

残さないように。

megacat_takana2009-02-15

来週の木曜日まで、出かけられない。
とにかく危険だから (何をするか分からないから?)
かかりつけのセンセの言うことだ。
それにそもそも、出かけたくない。
消えてしまいたいだけ。


連絡を入れて、反応をしてくれたのは3人中2人。
本当に救われた。
ありがとう、こんな私の話を、受け止めてくれて。


ただ、大切なひとだからこそ、死に損なった話をした。
助けてくださいと言ったって、誰もが困る。
助けになると言われたら、私は困って動けなくなる。


そのうち消えていなくなるのだから、ワンクッション置きたかった。
救いを求められて、助けられなかったんだと、後悔しないで欲しい。
私はしあわせを素直に享受し、また、求める人が好きだ。
笑顔で生きていて欲しいよ。


昨日痛めた両手の腫れもアザも痛みもひどく、急患扱いで病院へ行った。
左手にひび、あとは打撲傷 だそうだ。

病院までの車中、「何があったのか」「どうして・・」と言った会話は一切なかった。
父もどうしたらよいのかわからないのだろうな。。
そうは感じても、なにも、行動も言葉もないことは、情けなくて涙が流れた。


家へ帰った私は母に尋ねた。
11日、目が覚めてしまった私に言った言葉の、真意を知りたかった。
『あんたは必死さが足りないんだよ!』そう言った。
答えはなかった。
今にも泣きそうな目を向けて、部屋から出て行った。


自分のことしか考えられなくなっているのは、私だけではない。
きっと私が消えれば、みなの緊張もやわらぐ。
この家、この家族から、離れたい。