ちょうど10年前だった。

megacat_takana2009-02-16

1999年2月14日


親友Rが脳梗塞を起こした日だ。
18日の夜、Rのママから電話で知らされた。
脳梗塞と聞いても、どんな症状なのかよく知らない。
「生きているんですよね?」
と返した気がする。
電話の向こうの涙声は、溶けない雪のようだった。


左の脳がもうダメだから
私のことも分からないの
右半身不随だしね
口もダメなの話せないのよ
体力が…死んでしまったらごめんなさいね


雪の降る夜、暖かい布団に包まりながら、凍えさせる重たい雪が心に積もる。
泣きくずれるママを勇気付ける言葉を交わして電話を切った後、泣いた。
獣の咆哮に似ていただろう。
人が・・私がこんなにも感情を爆発させていることにも驚いていた。
それまでに幾度かの大手術をしているRの死を、確信してしまいそうだった。


Rは私に愛を教えてくれた、特別な親友だ。
共働きな上、愛情表現の下手な両親と意地悪な兄が家族の私に、
愛を教えてくれた。
人が人であるための、愛。幸福。


その当時、もっとも大切に思い、誰よりも失いたくない人が、死んでしまう?
恐怖以外のなにものでもない。
大学の友人で、信頼していた男友達に助けを求めて電話をかけた。
夜中の2時もまわっていたし、泣きわめく私はおさまらない。
「なに?何言ってるんだかわかんねぇなぁ。」
電話はすぐに切られ、救いはどこにもないと思い知らされた。
女友達には電話できなかった。
泣き叫ぶ私を知られたくなかったんだ。


あの晩のショックが、私にうつを呼んだ。
約20年の間に溜め込んできていた、抑圧と言う名の膿がぬるりと、身体に流れ始めてしまった。


「生きても二年でしょう」
そう言われたはずのRは、元気に生きている。
10年は短いようで、長い。
さまざまなことがあった。
あの子は脳梗塞のあとも、癌をころころと作る身体に翻弄された。
そのたびに病室で二人一緒に泣き、笑った。
Rと出会わなきゃ良かったとか、早く死んじゃってよと願うことさえあった。
申し訳ないけれども、本当に。
それでも私たちは、助け合い互いを慰め、時に傷付け合いながら生きている。


Rの夢は私と二人、おばあちゃんになって日向ぼっこをすること。
真っ赤なドレスでおっきな花束を抱えて、私がお葬式に参列すること。。。
これはーどうなんだ?


昨日、いくつかの幸せを、気持ちを受け取った。
ありがとう。